再びバスに乗り、バスの中からポプラの木事件の発端となったポプラの木跡と、帰らざる橋を見学した。
バスの座席は選べるのなら絶対に右側に座った方が良い。
ポプラの木も帰らざる橋も、進行方向向かって右側にある。バスは完全には止まってくれないので、左側の人のはほとんど見えなかったと思う。
ポプラの木事件。
悲劇ではあるけれど、これこそ滑稽な事件だ。
要約すると、共同警備区域に北朝鮮が植えたポプラの木があり、その木が段々伸びて南側から北朝鮮の監視所が見え辛くなってきたので、国連軍が北に、ポプラの木を剪定するよう通告するも北は拒否。
ある日、国連軍が剪定作業を始めると、北朝鮮軍が「やめろー!」と激怒。しかし無視するアメリカ軍。ヒートアップした北朝鮮軍がアメリカ軍の斧を取り上げ、その斧でアメリカ軍を2名殺してしまったのだ。
またそこからが滑稽というかなんというか…
今度は何としてでもポプラの木を「剪定」とかそんな生ぬるいものじゃなく根こそぎ伐採してやる!と怒り狂ったアメリカ軍。
「ポール・バニアン作戦」というポプラ伐採大作戦を練り上げ、上空には複数の戦闘機、沖合には空母、非武装地帯には歩兵・砲兵・装甲車両を待機させ、いつでも戦争が始められる状態で、大掛かりな伐採作業をしたそうな。
事件以前の板門店は、南北自由に行き来出来たらしいが、この事件をきっかけに軍事境界線がきっちり引かれ、お互いにらみ合いながら警備するようになったのだという。
帰りのバスからの風景は、鉄柵線が延々と続いていた。
等間隔に見張り小屋があり、軍人がいた。
ソウルの街がみえてきた。
ソウルは38度線から40kmしか離れていない。
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